蝸牛の庵

好きなこと、好きなだけ

『マリヴロンと少女』


おれは宮沢賢治の夢女子なのでエモーショナルに『マリヴロンと少女』のはなしをしようと思います。

 


宮沢賢治 マリヴロンと少女-青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1922_17654.html

 


登場人物は、アフリカへ旅立とうとしている牧師の娘ギルダと、彼女の敬愛する歌うたい・マリヴロン女史のふたり。
ギルダはマリヴロンに、どうか自分を連れて行ってほしいと懇願する。マリヴロンは、自分のやっていることよりも牧師の娘としてひとのために僻地で身を捧げることのほうがずっと立派で、芸術だという。ギルダはマリヴロンに慕う気持ちを伝えるが、マリヴロンはそれとおなじだけの賞賛をギルダに返して去ってしまう。

 


私にとっては大好きな作品だが、宮沢賢治自身は同じように思っていなかったかもしれない。
『マリヴロンと少女』は前身である『めくらぶだうと虹』という作品を改作した謎多き物語であり、そもそも完成させることを放棄され生前発表されなかった作なのだという。

 

でも私はこの作品が、この作品に並んだ綺麗なことばたちがとても愛らしいと思う。


描写が美しく、何度読んでも鮮やかに目の裏に浮かぶ。
なんだか透き通っているのだ。雨に濡れた草木も、ふたりの間を吹き抜ける風も、虹のかかった空も、マリヴロンの慈しみに富んだ声も、少女の紅潮した頬も。

 

少女ギルダは、マリヴロンにこんな賞賛を贈る。

 

“けれども、あなたは、高く光のそらにかかります。すべて草や花や鳥は、みなあなたをほめて歌います。わたくしはたれにも知られず巨きな森のなかで朽ちてしまうのです。”

 

敬愛のこころをありったけ集めてリボンできれいに結った無邪気な花束みたいなことばだ。文字だけでこんなにも色鮮やかな絵画的表現ができるのだ。わたしには逆立ちしたって書けっこない。

というか、こんなきらきらした賞賛向けられたらうっかりせんでも抱きしめてまうがな。

 


それでもマリヴロンはこのいたいけな少女を引き寄せるようなことはしなかった。彼女は信念を強く持っていて、揺るぎない態度を少女に示した。自分のそばにいることよりも、牧師の娘としての仕事のほうがずっと“立派なおしごと”だとマリヴロンは静かに主張した。彼女のことばは謎めいていて、でも明快で、重みがあって、でも軽やかだ。


“正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくる”

 

とマリヴロンはギルダに言った。

 

どうしても、わたしにはこのことばの意味をじゅうぶんに理解することができない。

 

“大きな芸術”とは何なのか。
“時間のうしろ”はどんな空間なのか。
マリヴロンの歌の仕事は、彼女に“大きな芸術”をもたらすものではなかったのか。
あるいは、宮沢賢治にとって「書く」ことは、"正しく清く"、"立派なおしごと"だったのか。

 


この作品のテーマを『芸術と信仰』とする説もあるらしい。ただ、この点については浅学の新参者が自信を持って語れることなどひとつもないので研究者のみなさまの文献をどうぞ。わたしも勉強します。

 

 

この作品に込められたほんとうの意味を知ることはいまのわたしたちには到底できないのかもしれない。
でも、この賛美の詩集のような物語と出会ったことを本当に大切に思っている。

 

きっとわたしはこの作品に、宮沢賢治の“大きな芸術”の片鱗をみたのだ。