蝸牛の庵

好きなこと、好きなだけ

音楽のこと


音楽が好きだ。


といってもオーディオや音楽史に強い関心があるわけではなく、ましてやクリエイター側になどなれないと理解している。


なにせ小学生にしてピアノ教室で破門を言い渡された女である。私の前前前世のひとが音楽の神様に無礼をはたらいたのかもしれないとさえ思う。
オタマジャクシの群れは不器用な私を弄び、井戸の井みたいなやつも相互の互の中みたいなやつも憎しみの対象となった。
当時流行っていたプロフィール帳の特技欄に『ピアノ』と書くことに子供ながら良心の呵責を覚えるような腕前のまま、「わたしと音楽 〜激闘!ピアノ編〜」は幕を下ろした。


特技でないなら趣味かといえば、そういうわけでもない。
どうでもいいような場でどうでもいいように趣味を聞かれてどうでもいいやと『音楽鑑賞』などと答えたことならあるかもしれないが、基本的に自分の構成要素として読書とアイドルの比率が高いことは自覚している。
(一応注記を添えておくと、アイドルは音楽ではないと私は認識している。アイドルはアイドルやで)

 


ならばお前にとって音楽とは何だ。
この問いについてしばらく考えてはみたものの、単なる『娯楽』以上のタグ付けができないのであった。


無理やりに例えるならスーツにおけるネクタイのようなものだろうか。必須アイテムではないがオプショナルでもない。欠如しているからといって生命活動に影響が出るわけでも社会的に必ず問題視されるわけでもない。一日中身につけているときもあるが、全く触れさえしない日もある。だが多くの場合は被服とセットであるし、TPOによっては必要となる瞬間も存在する。


それから、ネクタイに例えることでかえって混乱しているのは他の誰でもなく私自身である。


つまるところ、そりゃあったほうがいいじゃんね、ということである。

 


ここで一度、自分の音楽遍歴を振り返ってみようと思う。


小学校高学年で手に入れたWALKMANにはじめて入れたアルバムは、確かくるりのベスト盤(2006年)とフジコ・ヘミングだった。
それからLOVE PSYCHEDELICO東京事変YUKI。実兄弟の影響が色濃く出ている。
その後Superflyにハマり、RADWIMPSにハマったあたりで第2次韓流ブームが到来。その後は専らK-POPばかりを聴いていた。
ひととおりアイドルをザッピングしたあとは、よりアーティスト色の強い韓国音楽を聴き倒し、高校に入ったあたりでサカナクションを皮切りに再びJ-POPを聴くようになる。
ところがここで昭和歌謡曲にハマるという誤算が生じる。iPodの中身が帰国後即40年タイムスリップである。和製ポップスの黎明期に一体何が起きていたのか、興味の赴くまま調べるうちに辿り着いたのがYMOだった。当然芋づる式にはっぴいえんどを聴き、大滝詠一を聴き、細野晴臣を聴き、矢野顕子を聴き、などとしているうちに引き上げた芋づるの端に懐かしいメロディを見つけた。


岸田繁、そしてくるり。はじめて音楽を能動的に聴くようになったとき、そこにあった音だ。あなたが紫のバラの人だったのね状態である。


かくして私と音楽を乗せた山手線は10年の時をかけて始発駅へと繋がるのであった。

 

 

以上が音楽的知識もなければこだわりも少ない、広く浅くスタイルの私の音楽遍歴である。


これを書き並べていると、メロディーと紐付けられたなつかしい記憶がたくさん蘇ってきた。あのときあの景色を見ながらこれを聴いたなあ、というようなややおセンチでドラマチックなものから、このCD貸したあいつのことすげえ嫌いだったんだよな、という昔舐めた辛酸の味まで。


なんだか自分の深部を曝け出すような気持ちだ。
音楽ってけっこう、人格に大きな影響を与えるものなのかもしれない。

 

 

なお今日の文章にテーマソングをつけるとすれば、くるりの『ワールズエンド・スーパーノヴァ』を選びたい。
ドゥルスタンタンスパンパン、ライブステージは世界の何処だって。

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『飛ぶ男』


『飛ぶ男』安部公房https://www.amazon.co.jp/dp/4103008105/ref=cm_sw_r_tw_awdb_x_iA7RybSMRT7HG

 


水曜ヨルナイトリスナーの基礎教養として安部公房の本を読んでみようと思いたち、はじめに読んだのがこの作品であった。


「はじめての安部公房」に最も適さない類の書であることは読後にはじめて理解したのだが。安部公房のファンにしてみれば一笑に付すような選書であろう。


何せ安部公房の没後、フロッピーディスクに残っていた未完の遺稿だという。しかも発表後に夫人の加筆が発覚したという曰く付きである。
入門書にするにはいささか難易度が高い。はじめてのシルバニアファミリーフトアゴヒゲトカゲだったような気持ちだ。


しかし結果として私は、必ずしも間違った選択ではなかったと思っている。


私は読書のとき、ストーリーよりも文章の巧さを気にするほうだ。この物語は未完だからこそ技術が引き立っている。推敲する前に絶筆したなどとは全く気づかずに最後まで読んでしまった。


内容こそ粘着質な印象だが文体は軽やかである。私自身、露骨な性描写をあまり好まないのだが、執着ともいえるほどの緻密なセクシュアリティの表現は寧ろ無機質で不快感はない。


一般的に文章を構成するときには、この説明は情景を描くため膨らませてこの部分は軽く添える程度に、と情報の取捨選択をするものだ。それには書き手の価値基準によって差が出るものの、優先順位には概ねセオリーが存在する。
たとえば「電車の中に猫がいる」という状況を小説的に表現する場合、猫の容姿があまりに異質であるなどのことがない限り、強調すべきは猫が電車という場所にいる不自然さであろう(文脈は考慮しないものとして)。
極端な例だが、『背部が茶色く、ところどころに黒色の毛が密生し斑模様を形成しており、頭部は額の中心部のみが黒く、顎下から腹部にかけては白色で、目は黄土色、鼻は桃色で先に直径3mm程度の黒斑がある猫が電車の座席に座っていた。』というような表現はあまりに情報に偏りがありバランスが悪い。これでは迷い猫の張り紙のようだ。


時間、情景、登場人物。必要な情報を必要なだけ配合するなら、意図するところの伝わりやすい文章ができる。


『飛ぶ男』で感じたのは、そのセオリーが絶妙に崩されているということだ。


読み進めていると、そこ書き込むの?そこ?という箇所が点在する。
その特徴がありながら、本質を見失わせるほど偏った描写ではない。


読者に情景を想像させながらも自分が拘りたいディティールは作り込む、このバランスが巧いのだろうか。

 


物語がどう展開していき、飛ぶ男がどんな結末を迎えるのかを、もはやわたしたちが知る術はない。
この巧緻な文章をつくるひとが、一体どんなラストシーンを用意していたのだろう。彼の作品をもっと読みたい、もっと知りたい。
そんな興味をそそられる1冊だった。

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神樹はじめのこと


前回あんスタの話をしたので姉貴分であるあんさんぶるガールズより話題を。


一応あんガルについて説明すると、基本的には日日日先生に年齢不相応の闇を背負わされ羽根をもがれた天使達が百合の力で地球を救うべく立ち上がるハートフルアクションホラーゲームである。


特に訂正はしない。あながち間違いでもないし大体あんガルを知らないのが悪いのだ。
あんガル主人公くんがあんスタ転校生ちゃんの弟であるというのはこの界隈では有名な話である。

 


舞台である私立君咲学園では弓道部が活動しており、その主将が我が推しであるところの神樹はじめちゃんである。


まずビジュアルがいい。顔がかわいい。胸もちょうどいい。細身だが太ももがエロい。家業の巫女装束や道着も良く似合う。
やっぱり黒髪和装の女には日本人としてDNAレベルで惹かれるのだろうか。


神樹はじめには最愛の妹がおり、これが神樹いちかである。主人公である転校生くんには見向きもしないほどの相思相愛、溺愛ぶりである。まあ、いちかは少し目を離すと人ならざるものに憑依されたりするので放っておけないのも当然である。
いちかはいちかで転校生くんが姉に近づこうものなら生命を奪うことも辞さぬSECOMぶりを発揮している。


そして他の登場人物に寸分違わず、神樹はじめもまたなにかどろどろした重荷を背負わされているようだ。こんな可愛い子にまで闇があるなんて私がまともな神経の持ち主なら許していない。ハピエレ各位は私が変態であることに感謝してほしい。

 


本編内容に触れるのでくわしい説明は控えるが(ホラゲーにネタバレは禁物だよって韓国のオンニのオッパのチングのバイト先の人が言ってた)、簡略化すれば「神格化されがち系女子」である。ラノベなら『俺の推しJKが神様なわけがない』である。
何をやらせても人並み以上、ミステリーな生態にいつの間にやら「生き神様」という渾名をつけられ崇拝対象とされてしまったものらしい。善意の暴力で大衆に隔離されるのだからたちが悪い。
本人は口癖のように「わたしは神さまなんかじゃないよ」と人間宣言をキメている。だいたい神社の巫女が神様を自称しはじめたらそれこそ問題である。


それから、あんさんぶるシリーズの私の推しには宗教が絡みすぎだ。なぜ娯楽でまで信仰の論争から離れられないのか。


それだけ神様コンプレックスに苦しめられてなお、崇拝者であるきこちゃんのことを、早川さんは素直な子だから…とかなんとか肯定的に受け止めるのだ。救いようがない。そこまでの菩薩マインドで崇拝されたくないなど思い上がりもいいところである。

 


そんな気の毒な女の子である神樹はじめにも最近、お友だちが出来たようで転校生くんはとっても安心である。
『ひーちゃん』、つまりせいとかいちょお、つまり鶴海ひまり、だ。
つまりつるみひまり の響きの良さたるや。エミネム寺山修司も太刀打ちできない。


カーストをとっぱらえ、ヒエラルキーをぶちこわせ、三部会を招集しアントワネットの首を取れ、を政治的方針とする生徒会長ひーちゃんは神樹はじめのお友だちとしてはこれ以上ない適任である。


ひーちゃんもまた、猪突猛進で感情的な欠点を神樹はじめに補われるのだろう。
ひーちゃんとの相補的な関係に神樹はじめが少しずつ心を開き、憧れていた普通の女子高生になっていくのだ。これが涙無しで語れるはずがない。

 


神樹はじめは魅力的な女の子だ。たとえば髪飾りひとつにも姉妹愛のエピソードが詰まっているし、かなりの武闘派という側面もある。だがその魅力は、あたらしい友達や仲間たちによってはじめて完成されるのだ。

 


みなさんどうぞあんさんぶるガールズをよろしくお願いします。無課金でもイベントで3ケタ順位余裕で取れます。あんスタの血で血を洗う激戦とは程遠いアットホームな環境でみなさんをお待ちしております。ダイマです。


私の狂気だけが明文化され神樹はじめの魅力は少しも伝わらないのではという懸念は大いにあるのだが、あんガルおじさんの世迷い言はこの辺りで。神樹はじめに幸多からんことを願いつつ。

青葉つむぎのこと


ブログデビューから数日でテーマに採択するくらいには最近のお気に入りである某あんスタのモジャメガネについて。

 


青葉つむぎは善良な高校生である。
頭がモジャモジャだったり占いをやったり親が新興宗教に染まったり友達だと思っていた同級生に切り捨てられたりモジャモジャだったりはするが、基本的には真人間といって差し支えない。


悪環境において不自然なほど屈折していないのだ。髪の毛はストレートとは程遠いが。
まるで日陰に咲くタンポポである。シルエットはどちらかというと綿毛だが。
青葉つむぎを知れば知るほど、生育歴と現状があまりにちぐはぐで頭がおかしくなる。頭部がおかしいのはお前だ。


そろそろ髪型のことは許してやるべきである。あれにも彼なりの理由があるらしいのだから。

 


もとよりなにか歪んだ子が大好物の私にとって、青葉つむぎのバックグラウンドは激ウマ案件でしかない。
それに先程から否定的に評価している髪型についても、私にはモジャモジャに弱いきらいがあるのだ。
大泉の洋ちゃんとかね。茂木健一郎とかね。


しかし実のところ、本人の気立ての良い性質は苦手の部類に入る。
プロフィールの嫌いなものの欄に『相手が傷つくこと』と書く男なんて痛々しくて見ていられない。そんなもの自分が嫌われることへの恐怖の裏返しでしかない。


決して穏やかとはいえない出来事たちと、温和で優しい青葉つむぎ。
不協和音がどうにも引っかかった。引っかかっただけのはずが、いつの間にか沼の底でくぐもったノイズを撒き散らす壊れかけのつむちゃんかわいいねマシンになっていた。


(私のようなこじらせ転校生はエレメントを読むと脊髄反射で慟哭するよう訓練されている。そのうちモジャモジャのものを見ただけで涎を垂らすようになるかもしれない。はた迷惑なパブロフの犬である)

 


だいたい青葉つむぎが悪いのだ。


入退院英智さん(仮)に大いに利用され切り捨てられたくせに翌年には平気な顔で変な後輩に顎で使われているのである。


間違いなくお前はご両親のDNAをしっかり受け継いでいる。大いなるものに進路を委ねて幸せの代償を得るタイプだ。自分が誰からも嫌われない存在でありたいから、人を傷つけて道を切り開く誰かの後ろを歩くのだ。


これが本人曰く「『都合の』いい子」ということなのだろうか。


都合のいい子は茨の道ですよ云々みたいなことを紫之創に言っていたが、可愛い可愛いしののんをお前なんかと一緒にしないで欲しい。
紫之創はに〜ちゃんに追随することで未来に羽ばたこうとしているが、青葉つむぎは夏目くんに帰依することで楽をしているただのご都合主義者だ。
夏目くんが必要としているのは僕じゃなくて、僕の『元fine』というネームバリューなんだろう、まあ居心地はいいからどっちでもいいけど。とか腹の底で思っていそうである。


しかし一方で、アイドル活動を心底楽しみ、Switchの輝かしい未来を願い、夢を追いかけはじめているようにも見える。


その底の見えなさがどうにも私のツボであるらしく腹が立つ。
どちらにせよ幸せになって欲しいと願うしかないではないか。


ずっと偉大なものの陰に胡座をかいているのが彼に合った生き方なのだろうか。
それとも、嫌われ人を傷つけることを恐れずに自分で進んでいけば、さらなる幸せを掴めるのだろうか。
疑問は己の身に還り、虚像は現実の前に透過する。


いよいよ宗教じみてきた。


兎にも角にも私は私の大嫌いな青葉つむぎに幸せになって欲しいのである。

 


まずは☆5実装なんていかがですかハッピーのエレメンツさん。需要は意外とあるっすよ。

f(x)のこと


さっそく推しのことをガンガン書き殴っていく。そのためのブログである。とかく好きなものについて偉そうに論ずるのは最高に楽しい。

 

 

はじまりはピノキオだった。


時は第2次韓流ブーム、私は少女時代に爆ハマりし、友達と夢中になって彼女たちのケツを追っかけていた。
スヨンとはすなわち人生だったし、ユナ以上の美人はいないと本気で思っていたし、ユリとソヒョンの見分けも正答率100%だった。
友達のほうは写真入りグッズを手作りしてカバンにつける、TimeMachineの歌詞が書かれたカイロを冷えきっても大切にポケットに入れているなど痛いタイプのヲタクだったが、精神的には負けず劣らずだった自負がある。
レコードならすり切れるほど見たGENIEのMVでも、ランプをこするイケメンくんには目もくれずスヨンばかり目で追っていた。 そのイケメンくんとその仲間たちにどハマりするのは数年後のことである。


完全にどうかしている状態だった。今そうであるのと同じように。
どうかしなくても彼女達は私のような芋臭い中学生女子を虜にするに充分な魅力を持っていると今でも思うのだが。

 


その好きの暴走で見ていた、ミューバンだったかエムカだったか、とにかく韓国ヲタには馴染みの音楽番組で、何やらキラキラした女子が歌い踊っていた。


フックのあるメロディーラインはK-POP全般の特徴だが、その中でも他のグループとはひと味違うサウンド。
売れるアイドルは美人の粒揃い、という風潮のなか、明らかにカラーのバラバラな女の子たちがバラバラな衣装を着て踊り、果ては何やら男の子みたいなのが出てきて英語でラップをしている。


あれ、いや、てかめっちゃ可愛いやん。


しかも少女時代でも推しトップスリーだったジェシカ様の実妹がいるらしいではないか。
彦一よろしく、要チェックやで!と勇んでパソコンでBIGLOBEの検索窓に『f(x)』と打ち込む。
が、当たり前だが株式のFX取引のことばかりがサーチに引っかかり全く彼女たちに辿り着けない。
『f(x) 韓国』『f(x) K-POP』などの試行錯誤の末ようやくf(x)のプロフィールを紹介する個人ブログにたどり着いた。あのときのブロガーさんは元気だろうか。私が助けていただいた鶴です。

 

ビクトリア、アンバー、ルナ、ソルリ、クリスタル。
少女時代9人を覚えた私にとってはキャラ立ちした5人を覚えることなど容易かった。しかも多国籍グループである。


中学生のやわらか頭にはしっかりと5人の情報が刻み込まれ、気づいた時にはズブズブのえぷペンが錬成されていた。


MVとファンブログをブックマークし毎日チェックした。 パソコンの自分用フォルダは彼女達の画像で膨らんだ。あのときのhot summerソルリの可愛さといったら私の語彙が広辞苑ほどあっても言い尽くせない。

 


それからアルバムが毎夏1枚ずつ。


Electric shockは特に目立つヒット曲だったし、Rum Pum Pum Pumでは生えもしない智歯が疼いた。バラエティや演技などの活動も光った。
弟グループEXOがバカ売れしたり、打って出た日本デビューが一度うやむやになったり、ワンマンがなかなか決まらなかったり、いつまでもファンクラブが発足せずファンたちが名前をくれと主張したりもした。
ビク姉様のスケジュール管理がガバガバだったり、アンバーがささやかな失言をしたり、ソルリが脂肪吸引したり、ソルリが熱愛報道を認めたり、ソルリが態度の悪さで叩かれたこともあった。


でも彼女たちはずっとキラキラしていた。
不遇ともいわれた環境のなか、彼女たちはいろんな色を見せてくれた。
だがその芯にあるものは頑としてブレなかった。


私たちがf(x)、夏はf(x)のもの。


2014年のRED LIGHT。
ティーザー画像はどれを取っても芸術作品であったし、MVも楽曲もパフォーマンスも見事だった。
Milkのステージも、all nightも最高だった。
少し照れくさそうに、でも誇らしげに頬を寄せ合うマンネラインに目を奪われた。
百合女子をこじらせていた私だったがこのときばかりは諸手を挙げて神を拝んだ。この美に性別なんて下等なもんを持ち出したらあかん、ここは天界や。


all night stage▷ https://youtu.be/f-y1zblEl54


輝かしいREDLIGHTの活動は、ソルリの体調不良による活動休止で幕を下ろした。

 

そして2015年。
EXOから一人抜け、二人抜け、三人抜け。私がアイドル処女を捧げた少女時代からジェシカ様が抜け。
SMTOWNの雲行きは怪しくなっていた。
SHINeeとf(x)は大丈夫。
自分たちに言い聞かせるようなファンたちの書き込みが目立った。


なんとなく、嫌な空気は漂っていた。 でも誰もがそれに気付かないふりをしていた。

 

 

ソルリの脱退が正式に発表されたのは夏だった。

 


f(x)の魅力は、ポップなメロディとキュートなビジュアルの後味に心にざらりと残る不思議な『危うさ』だと私は思っている。
そしてその危うさは、ソルリによってはじめて完成する。


ソルリはいっとう危うく魅力的な少女だった。
欠けたところがあるのに、それすらも武器にするのが上手な女の子。 タネも仕掛けも見え見えなのに、騙されてあげよう、という気にさせられる。


詰めが甘いのに、その甘さが甘美なのだ。


彼女が抜けた後、残された詰めの甘くない4人は詰めの甘くない新曲を出した。
4Walls。
わざわざ含められた4という数字の意味はまだ考えないでおく。

 


あれから1年半。初の単独ライブツアーが決定したり、初の日本オリジナルシングルをリリースしたり、それぞれがソロ活動をしたり、4人体制のf(x)の活動は上々である。


危うさを失ったf(x)に隙はない。 でも、
DIMENSION4でソルリのパートを歌うクリスタルや、ダンスで穴を埋めるKLAVくんを見るとどうしても違和感がある。 KLAVくんが箱を被った男であることは抜きにしても。


そしてこの違和感をこれまでの危うさと意図的に混同させることで、私は変わらずf(x)を応援しているのだ。
きっとその違和感がなくなったころに私は4人のf(x)を完成形として愛せるのだろう。
All mineに、5人だった頃とは違うf(x)の今を見たように思う。


All mine▷ https://youtu.be/Z0S3knWIdrY


ちなみに危うい少女だったソルリは今やインスタで乳首を見せるただの危ない女である。アンタ可愛いんだからしゃんとしてなさいと思う私の中のオバハンの代わりに誰か、彼女に一喝してくれると助かる。

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ことばのことはじめ

ここでは好きなものについて思う存分語るつもりであるが、果たして何から始めたものか分からないので、手始めにことばについて書いてみたい。

日本語というのは長文を書き上げ、読み通すにとても適した言語であると思う。同義の表現にもバリエーションがあるし、漢字を使えば文面が長ったらしく見えず余白も引き締まる。
ひらがな、カタカナ、漢字といった書き言葉がこれほど発達しているのも稀有な例だろう。

もっとも私の場合他の言語を知らないので、日本語を使うよりほかないのだが。

ともあれ私は日本語という言語が大好きなのである。

わざわざこのようなネット社会の片隅でうだうだと駄文を連ねていることもまた、この執着にも似た日本語愛に端を発する。

言語化しなければ思考を整理できない私にとって、頭のなかの『なにか』に名前をつけてカテゴライズし、正しく整列させて関係性を表す語彙でつなぎ合わせていく という作業は必要不可欠だ。

しかしながら基礎教育課程を修了したいま、語彙は能動的に取り入れ、また出力しなければあっという間に指の間からこぼれ落ちてゆく。
表現の幅は狭まり、私の思考には『なにか』が澱のように溜まってゆく。

それを言語化しないまま表現したり、何らかの原動力とする人もいるだろう。音楽然り、美術然り。

だが私は頑固だった。自分が思う以上に頑なだった。

嫌だ、私の頭にあるのはよくわからない『なにか』ではだめなのだ、日本語じゃないとだめなのだ。

あわてて図書館で本を借りてみたり、名作と呼ばれるものを読んでみたりと精一杯の抵抗をはじめた。

ある日、漱石に『肝胆相照らす仲』という表現を見つけた。
隣国の故事成語ではあるが、日本にはこんなにも響きのよいことばがあるのだと衝撃を受けた。

かくのごとく美しいことばというものは山ほどあるのに、私はそのほとんどを使わずに生きていくのだろうと思った。

読んだとて書き話さねば意味がないのだ。
知ったものも使わなければ失われるのだ。

食べたらうんこをせねばならぬのだ。

というわけで、これは私の私による私のためのうんこである。